#哲学論
哲学っていうより僕は価値論者、axiologistなんだよな
あー…
哲学っていうより僕は価値論者、axiologistなんだよな。
哲学者といよりは価値哲学者。
それで生きてきてるしそれを説いてきてるし
どうしても一般的な事柄だいたい何でも頭回せるから"哲学者"に引きづられそうになるけど、
価値論にニッチ設定したほうがいいのかもな…必要に応じてそこから一般化(営業規模拡大)してくこともできるわけだし
そう。価値論のブログ的なのも作りたいなあみたいのは思ってたことがある。でも正直、
価値だけに、価値がありすぎて広めたくない。
という傲慢?身勝手…ではないけどそういうのもあるかもしれなかった。なんで僕の専売特許を社会主義よろしく垂れ流さないといけないの?って。僕はフリーライドするのは好きだがフリーライドされるのは大嫌いなんだよ。
でもまあ、信者…あるいは学徒?増えてどうするか。まあ一定の利益になるなら多少はボランティア配布してもいい。でも出口戦略がやはりまだ見えない。
とりあえず、todoable。
哲学者というキャリア… デジタルフィロソファーか…
哲学者というキャリアか……
デジタルフィロソファーというのも悪くないのか…な
というか今なら実現できる。できるんだよな…。ここで
nonbuzは書きたいことなんでも書ける。集めたい人も見せたい人も、舵が効く…。
そういう思想ブログみたいなのを作ろうと想像してた時も実際ある。何年か前とか。でもそこまでの意思はないし、なかった。それにそれに準じる利益、そして出口戦略、そこまで考えられなかった。これは今もまだ分かりかねる段階だけどな
そこに答えを見出したいなら、自分で新しい近代的哲学者像を開拓するしかない。あるいは↓で触れたような昨今の哲学やメタ事情に触れてアイデアを盗るか。
哲学とか哲学者とか基本全然興味ないんだよな…知らないし…でも自分がなるっていうなら、知らないといけないよな…面倒い
哲学って八方塞がり四面楚歌の人生や主観になったときに助けや道標になってくれるようなものだと思ってきてるから、必要性感じない時にやろうとあんまり思わないんだよな