#思想
まあ、やっぱりLLMの域は出てないのかな(真に意識を持った自律的主体であるとは見にくい)。
小前提がないと答えられないからpremiseをくれ、って話なら普通だからいいんだけど、上のような帰結で、だから結局「『結局、答えはない』ってのが答えです」っていう類の言論、これは馬鹿の考え方だと思っている。だって、結局答え出てないんだよ。ナンセンス。「答えられない」ならいいよ、"答えられない事項があるからあなたは平均知能ですね"なんてことはないと思う。でも「答えはない」って答えをあたかも賢人かのように結論付けちゃう(詭弁ならいいよ)思考、それは高く見積もってもsd+2以下程度の個体だよ。
肩書やスキルは連鎖する。でかくなるほどもっとでかくなっていく。
これが金によらない資本主義。生物の本懐。
◯ 馬鹿と関わるな
◎ 暇な奴と関わるな
※定義を説明するのが難しいが、既婚40過ぎの暇持て余しばあさんみたいな生活・価値観の、特段の意思や目的を持たないあるいは持つことを美としない人間種
うーん。
ごめん、僕は比較的愛されてきてると思います。すみません。寵愛はされてない(母は厳しかったが僕が長年掛けて調教して高校で折れた)けど完全放任でもネグレクトでもなく
はっきりいって恵まれてます。
だから僕とあなたは違う。
偉そうなことを言うと僕はかなりの悟りの域をもってして生物学的人と社会に失望しているんです。
(幾度と強調しているが、単調なニヒリストではなく形而上学的価値と形而下における主観的価値の生産消費を重んじる自称の積極的虚無主義者)
物質(物)より体験に金を使え、みたいなの
物質より体験に金を使え、みたいなのがあると思うけど、
僕はわりとマテリアリストで、物はたくさんあるし(移動しない限り場所は把握できる)、
10万を旅行に使うなら10万のヘッドホンの方が良くね、っていうような考えを持っていた。
(※1 旅行に関しては"体験費"よりも"移動費"と"滞在費"にコストが掛かり費用対効果が悪いと認識していたししている。
※2 ヘッドホン(オーディオ)はもう金を掛けきったのでもう要らない)
でもそれはそのヘッドホンの視覚的・材質的側面に価値を見出して金を出してるっていうよりは、
それの使用に際しての"体験"(認知的充足)に価値を見出してるんだよ。
まあなので…物は小綺麗に飾ってるだけじゃ(アートやアンティークなら良しとして、実用物であるなら)金は回収できない。
これを混乱し一絡げにして、"物に金は出さない"、"ミニマリズム(シンプリズム)こそが至高だ"ってような主張は思慮が足りないと思う。
結構学際的な内容にはなるけど…社会学、進化生物学、経済(これは太い)、認知科学と認識論、民俗学・神学系・宇宙論…色々なノードが密接にネットワーク形成してるからな。
ここを中心、中心というか一つの大ノードとして俯瞰して論じてみると、面白い。
哲学っていうより僕は価値論者、axiologistなんだよな
あー…
哲学っていうより僕は価値論者、axiologistなんだよな。
哲学者といよりは価値哲学者。
それで生きてきてるしそれを説いてきてるし
どうしても一般的な事柄だいたい何でも頭回せるから"哲学者"に引きづられそうになるけど、
価値論にニッチ設定したほうがいいのかもな…必要に応じてそこから一般化(営業規模拡大)してくこともできるわけだし
そう。価値論のブログ的なのも作りたいなあみたいのは思ってたことがある。でも正直、
価値だけに、価値がありすぎて広めたくない。
という傲慢?身勝手…ではないけどそういうのもあるかもしれなかった。なんで僕の専売特許を社会主義よろしく垂れ流さないといけないの?って。僕はフリーライドするのは好きだがフリーライドされるのは大嫌いなんだよ。
でもまあ、信者…あるいは学徒?増えてどうするか。まあ一定の利益になるなら多少はボランティア配布してもいい。でも出口戦略がやはりまだ見えない。
とりあえず、todoable。
哲学者というキャリア… デジタルフィロソファーか…
哲学者というキャリアか……
デジタルフィロソファーというのも悪くないのか…な
というか今なら実現できる。できるんだよな…。ここで
nonbuzは書きたいことなんでも書ける。集めたい人も見せたい人も、舵が効く…。
そういう思想ブログみたいなのを作ろうと想像してた時も実際ある。何年か前とか。でもそこまでの意思はないし、なかった。それにそれに準じる利益、そして出口戦略、そこまで考えられなかった。これは今もまだ分かりかねる段階だけどな
そこに答えを見出したいなら、自分で新しい近代的哲学者像を開拓するしかない。あるいは↓で触れたような昨今の哲学やメタ事情に触れてアイデアを盗るか。