中国製の動画生成AI「Vidu」
中国製の動画生成AI「Vidu」(ヴィドゥー)を実際に使ってみた感想
https://philipptarohiltl.com/vidu-ai-video-generation-tool-review-and-usage-guide/
DeeVid AI
【2025】DeeVid AIは安全?使い方や料金・無料クレジット・商用利用・アカウント削除も解説
https://cg-kenkyujo.com/deevid-ai/
公式サイト
https://deevid.ai/ja
写真をしゃべる動画に変換する無料AIツール8選
ボイスクローン
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あなたの声とそっくりなレプリカを作成します
動画のボイスオーバー、広告、ポッドキャストなどを、ご自分の声で自動化できます
https://elevenlabs.io/ja/voice-cloning
公式による解説動画
https://youtu.be/1CofcvOBhec
動画生成AIメモ
【超簡単】自分が話してるようなAI動画を生成!最強ツールArgilを紹介
https://note.com/mimori_lb_note/n/n633ca5fe56c5
写真が話す時代!AIで画像を動かすアプリ9選「モバイル&デスクトップ向け」
https://note.com/edimakor_japan/n/n9e91db10c6ec
【Heygenの使い方】自分の分身AIアバターに入力した日本語を喋らす
https://youtu.be/4fbIlcJjxbY
【衝撃のAI技術】HeyGenでリアルなAIアバター動画を作ってみた:動画製作の未来が変わる
https://www.youtube.com/watch?v=mmZjAihSBGM
新しい外国語学習を始めたり辞めたり
アラビア語をやっていたのだが複雑なのと、アプリで表示されるフォントが小さすぎて見づらいなど諸々を勘案して中断w
代わりにロシア語を始めた。
不気味なくらいよくわかる。
ロシア人だったことがあるのだろうか。
「LITSTA」の革製品がイチ推し
蔵前にある工房、「LITSTA」がいい感じ。
https://litsta.com/
ブランド名は
Life Is The Stage To Act(人生は演劇の舞台である)
の思いを込めて名付けられたそう。
革細工(レザークラフト)のワークショップも店内の一角で開催されるらしい。
ここの製品、どれもカッコよくて気に入っている。
「LITSTA」の革製品がイチ推し
蔵前にある工房、「LITSTA」がいい感じ。
https://litsta.com/
ブランド名は
Life Is The Stage To Act(人生は演劇の舞台である)
の思いを込めて名付けられたそう。
革細工(レザークラフト)のワークショップも店内の一角で開催されるらしい。
ここの製品、どれもカッコよくて気に入っている。
ポジティブでなくハイテンションでドーパミン依存症だった私
最近、主にアメリカなどの海外で?「ドーパミン依存症(から脱却しよう)」という自己啓発のメッセージが流行ってきている?ようだ。
しかも、そこにADHDが組み合わさるとマーケティング的な惹きは鉄板。
要するに、何かと常に焦って落ち着かず不安なADHD持ちがその不安を紛らわせるために、ドーパミンという合法的な体内麻薬成分に依存するようになる、という言い分。
具体的には、スマホのSNSを無限スクロールして(自分がドーパミン分泌するような刺激を求めて)しまうとか、気分のムラが激しく、急に怒り出すようにヤル気を出して夜中でも突然、激しい筋トレや今やらなくてもいい勉強を始めてしまうとかの理不尽行動を繰り返してしまうような問題ある生活習慣にハマって抜け出せなくなっていませんか?という問いかけ。
それを解消するには、、、といって、いろんな行動習慣変革メソッド(ある意味では、認知行動療法的と言えるのだろうか)の情報商材やサプリメントなどを宣伝する流れ。
その口車に乗せられてホイホイ課金してしまうことこそなかったものの、この図式には心当たりがありすぎて首ブンブン縦振りしてしまった。
私は医学的に診断を受けたADHDではないし、その手の傾向を測定する心理テスト(いちおうちゃんとしたやつ)を受けても該当はしないのでいわゆる正常の範囲内なんだけど、まぁそれでも気分のムラとか、焦ってドジってタイミング悪いみたいなことは日常にちらほら。
特に30歳を過ぎるまでの若い頃はものすごく不幸というかネガティブで常に○にたいと思ってるような殺伐とした心理状態で生きていたのは間違いないので、そりゃあ不安や恐怖を紛らわせてくれる何かがあれば欲しかったですよ、いくらでも。
(そう考えると、ほんとの薬物に手を出したり夜遊びに耽ったりとバランス悪くなるような行為に全然染まらない、走らないで済んだのは奇跡としか)
それでも1つだけ当てはまるなら、ほぼ常にハイテンションでピエロみたいにずっと過剰におどけて明るくエネルギッシュに振る舞うこと。
常に大声で怒鳴る声量で会話する小学生男子とか、クラスに1人はいるじゃないですか。あれでした。
今でいう陽キャというのとも違って、子供の頃の篠原ともえの売り方みたいな、ヘンテコ明るい感じ。
しかも、周囲のみんなを楽しませようというよりは、自分の内面の葛藤や苦しみを間接的に周囲の人にわかってもらいたくて、同じ気持ちを味わってもらいたくて、わざとドン引きしたり不快感を感じるように、明るいハイテンションで周囲に嫌がらせと威圧をして「私を助けて」と伝わらないパフォーマンス的SOSをいつも放っていた感じだった。
それもヒーリング修行の中でいろいろ解消していって、年齢も上がり、変な行動特性としてのハイテンションは薄らいでいった(のは良かったのであろう)ものの、今度は単純にトシゆえのエネルギー不足に困ることになった。
でもここでもう一度、あのハイテンションに戻るのが良いとはさすがに思えない。
どうすればいいかというと、ここから先は「生きているうちになんとしてもこれこれを成し遂げる!」という、人生の(もしかしたら最後の)使命!くらいに強い信念を抱いて、そこに向けてディシプリンで己を律してストイックに昨日よりも今日、今日より明日をさらに成長&前進するというスタンスになることしかないんじゃないかと思っている。めんどくせーけど。
でも生きるってめんどくせーのよ。
しかも昭和20年の男性の平均寿命が47歳だったとかで、今の俺よ。
そう、先祖伝来の遺伝子的記憶や行動特性etcにも、50歳をすぎてどう生きる、というのは入ってない。
俺の代で新たに作らないと。
そのめんどくささをどうハンドリングするか、が課題であり学びだと思うしかない&その方がどうせ生きるなら健全、だよね。
てなわけで、己の半生をたまたま、流行り(かけ)の広告から顧みた感慨を綴ってみた(だけ)とさ。
チェロ歴もはや14年目
2012年1月に意を決してチェロを習い始めた。
動機としては、自分が超感覚技を教える仕事を生業としていたものの、なにか体系だった教授法を知っていたわけではなく出来が悪い生徒をうまく指導できずに悩んでいたから。
別ジャンルで、まさに自分側が出来の悪い生徒になったとき、はたして教師たちはどのような対応をして教えてくれるものなのかをお手並み拝見……と。どこに出しても恥ずかしく後ろめたい動機だった。
そんなこんなで10年超。
思った&わかったのは、年月じゃないってこと。
上達するとき特有の集中モードが意識状態としてあり、ゾーンに入ったとでもいうのか、その状態で練習をすると、まるで形而上的な次元から演奏方法がダウンロードされてくるように上手くなる。
また、この十数年というのはYouTubeやSNSで多くの人が、ある程度の年齢いってから何かを始めても意外とものになるということを実証し、それ以前の偏見的?ある意味妥当?な「音楽は才能、しかも○歳から始めないと」的な呪縛的思想が必ずしも真実ではないことが音楽だけに限らずいろんな分野で証明されてきつつあった頃だと思う。
プロになって生業にするとまではいかなくても、べつに大人がアマチュアとして始めてもちゃんとやれば下手ではない程度には上手くなるよ、という集合知は形成されたように思う。
その最中を一貫して習い続けたこともあり。
レッスン自体で教わったこととは別に、それとなく耳にする&肌で感じる、どんどん「できる」という可能性をみんなが体現する方向に常識が変わっていくことに自分自身がはっとさせられる経験を何段階も経ることができた。
そして今は。
とうとう、私が演奏を披露したときに先生がため息をついて数秒間、放心状態になって感慨に浸るところまで来た。
ようするに、大人になってから習い始めてここまで上達した生徒というのを先生自身、これまで遭遇したことがなかったのではないかと思う。
もちろん、プロどころか、一流の音楽大学の入試で合格できる水準ともまだいえないレベルではあるが、それでもギコギコとどうしようもない雑音でご迷惑をかける段階からはずいぶん遠いところまで来ることができた。
私としては、やっと、ようやく、表現と呼べるところまで「音を放つ」行為を人為的に操作で為せるようになったと思う(←わかりにくい表現でごめんなさい。そうとしか呼べない、『やっとできるようになってきた』感覚があるのです、芽生えたのです)。
そして今さらというべきか、ここまで来て初めて「もっと上手くなりたい」と思うようになってきた。
いや、これまでの13年間は、もちろん上手くなれたらいいなと思って練習してきたものの。
かといって上手くなれると思って練習できるほど楽観的ではなかった。
し、かろうじて超初心者向けの楽曲は辿々しくも弾けるようになったとはいえ、そうなると今度は
「そりゃあこんな簡単な曲を、しかも芸術性は問わず(=0と換算して)機械的に間違えず弾けたかという意味でいうなら、そりゃあ練習時間を確保して機械的に動きを覚えて繰り返せばできるようになって当然だろ」
という、情けなさとしらけが来る有様。
その、上手くなれるとは思えず、どんぐりの背比べ(しかも他人とではなく当社比)程度には上手くなったとしても
「だから何(大の大人がわざわざ時間とお金と労力を多分に費やしてこの程度って投資効率悪すぎだろ)」
という自重自責に苛まれる(だけ)。
よくもまぁ途中で辞めなかったものだ。
コロナ禍になったときも、DTMのマウス操作で右手を痛めたときも(←厳密にいうといまだに完全回復はしておらず後遺症のように障害が残ってリハビリ中)。
そんなに私はチェロ熱があったか。
下手でもなんでもどうしても辞めたくない情熱があったか。
いいや、それは全然だ。
むしろ、続けるか辞めるかをわざわざ考えるほど大袈裟でも大事(おおごと)でもなく、どうしようもなく意識が低い惰性として「辞めるという行動をとらずに先延ばししていた」というのがいちばんしっくりくる。
辞める手続きの面倒さというか、これまで続いているものを断ち切る(大きな)エネルギーを出すのが億劫で続いてしまった。
でもそれが、音楽素人が大人になってから始めたにしては上出来という程度には楽器を演奏できる能力の獲得という恩恵へとつながったから人生よくわからず、面白いとも不可解ともいえるものである。
あと気がかりなのは、先生のお年とご健康。
最近とみに、急激に(ry
そういえば、YouTubeで偶然、ピアソラのアヴェ・マリアの演奏をいろんな演奏家の方ので探していたら、
チェリスト 寺井 創(てらい はじめ)さん
https://terai-hajime.com/
の存在を知った。
寺井さんが演奏するピアソラのアヴェ・マリア
https://youtu.be/VLjWwqW7pKc
家もそう遠くないし、アマチュア向けでも単発からレッスンしてくれるとのこと。
いま習っている先生に万が一のことがあったら、、、、
あっ、なんて不埒なことを考えてしまったんだろう、反省。













