#恋愛論
っていう確率統計的に婚活(婚活ではないんだが…便宜上)を進める方略を昨今考えている。
いいパートナーってのを求めていようが誰でも良かろうが、女がいなきゃ始まらないんでな
なんだこのサイト……………(・_・)
これはいわゆる"円"なのでは…?あるいは現代奴隷制度ですか?社畜ならぬ婚畜ですか?(家庭内ハラスメントは既に多いか)
契約結婚の意味違うよね?これが義務教育の崩壊ですか?
思うに、それが人からの影響なのか自己の感情で評価された結果なのかって全然違うんだよな
例えば好きな人が好きだったから好きになったとかナンセンスの極み
いや実際ナンセンスでもないんだろうけど、その好きは意味合いが全く変わることは確かだろう
不快とかってのもあるかもしれないけど、ここで大事なのは話、価値観が合いそうな指標として使えるかどうか。と見たとき、他人からの受け売り比重が大きい場合では友達やパートナーとして最適性があるかとしての参考としては使い物になれない。
確率か…。まあ世の中は確率統計だからな…分かりきってるけど
ある程度でフィルタしたらあとは確率に委せる。最初からコンバージョン100%や10%を狙わなくてもいい…のか
それでも非能率的だが…
しかしながらしかし僕の経験上も何だかんだで僕と会ってきた人達は一種の偏りがあったとも言えようか。自然の力学的作用ですでに生存の篩に掛けられていると
だがしかしそれでもやはりは運任せ(あるいは無意識任せ)はいけない、いけないと思ってしまう。
昨今も僕は運の再現性について考えることもあった。まあつまり例えば信仰や神社参りとか占星とか風水や陰陽とかの準科学的推定
そういう類は認知的侵襲性もあるから(分かりやすいところであればバーナム効果のような)、そういうのを差し引きしてフェアに考えるよう心掛けないといけない
まあ…うーん…
昨日考えてたのは、プロダクトってのはモジュール化された、いわばマイクロプロダクトなんだよ。でも一方で人、人と人のマッチングっていうのは、人の労働力や専門性とかスペシャリティが提供される場合はマイクロプロダクトだけど、例えば友達、親友、パートナー、結婚相手ともなればモジュール化されたマイクロプロダクトとはいかない。
僕はね、離婚したくないんだよ。普通の考えだと思うけど。なんでって結婚が損で離婚が得だからなんていう某金融論者を信仰してってよりは、単純に時間の無駄だから。離婚が時間の無駄なら結婚も時間の無駄、そして恋愛も時間の無駄、デートも時間の無駄。会話も時間の無駄。OKだよね?
友達と異性パートナーってのは少し、まあ違う。ポリモアリーでもなければ異性は1、友達は100だ。
あのな…僕はパートナーってのも投資対象で見てるんだ。シンプルに。何も彼女に金になってもらいたいって経済的な話じゃない。強いて言うなら「時間を奪わず、時間を寄越してくれる」相手ってのが成功例だろう。(例えば僕自身が僕自身から奪うであろう将来時間を割引して奪わない奪わなくていいように度々してくれるような相手)
それ以外は要らない(実際、お互いに要らないと思う)