#人間関係
見てられなくて嫌々ながら会話に首突っ込んだら場がほんわかした。
僕のような人間、しかし比較的見返りを求めない利他的な行動ができる彼が攻撃されてるのは目に余ったので
あと「個人攻撃」の意味、みなさん分かられない…?
例えば「東京に住んでる奴ら」を揶揄する発言は個人攻撃じゃないし、それをしても誹謗中傷発言にはならないんだよ。法律判例勉強しろ



あーでもそういやいたなそんな女。だから比較的自分事に取れて遺憾砲放てるのかもしれない
ちょっとタイプが違うかもしれないけど下の場合とは
表面は接するけど心閉ざしてるタイプ
あのyoutuber
まあ知らないしここ見られることはないだろう。見たって構わんが
はー、僕も悪いことしたかもしれないけど…とか、とか言い出したら救われないから今更言わんが、
下手に近づかれたせいで迷惑度が違う
もう僕にぞっこんなやつ以外近づいてこないでほしい。いやそれは結婚前提お付き合い婚活女子の理屈になるな…
でもそんな気分だよ昨今。もっとずっとオープンだったけど、あこの人は違うなって閾値が随分下がった。
頭いいのかな思ってもその後で少し馬鹿が見え隠れしたら"無理かもな…"と失望してしまうような
正直このスタンスよくないとも思うんだけど…当てつけ感が。結局当てつけでの猿真似みたいなとこもあったりするから
そういうのが、僕の白紙が濃い色で汚されてるって話に繋がる…結局人なんだよ、邪魔なのは
"コモナー"(大衆・愚衆)を自身の周りに集めてまで人気者になりたいなんて思いたくない
容易に想像できる。辛いだけよ。楽しそうはあっても楽しくはなかったとなるだろう。
なんか気づかぬうちに手段が目的になってしまうことがあるだろうけど、
結局僕がしたいのは一人を集めること(厳密には一人をいつでも集められる能力)であるに過ぎないんだよな。
相手からすると親近感が遠くなる、たぶん
僕的には賢さって、文が読めるか・合理的な判断ができるか・人と意思疎通できるか、くらいに尽きるんだけど、
人からすると「この人やばそう(自分が比べ物にならないくらい強そうで怖い、自尊心を砕いてきそう)」か「この人やばそう(自尊心高そうで面倒そう、人とはまともに話せなそう、(大したことないのだから)過大評価癖がありそう」かどちらか、
どちらにしてもよくない帰結になりそうな気がするんだ
要は開示するにしても最適適切な段階があって。初手に出すカードじゃない
出したくなっちゃうんだけどな…でも諸刃の剣なんだよな。東大だったら東大とかもそうだと思う。世界一周だとかウォールストリートの実業家だとかも例えば。自分(大多数)と遠いってのがな。
僕は人に興味ないからわからんけど強いインフルエンサーも強者感よりはコモナー感で人を惹き寄せるんじゃないのかな
それでなお、鬱。
これは会社員の方々の過労やルーチンやハラスメントでの鬱とは特質が違うんだろうな…。かなりマイナーで理解されない。僕が変な生き方をしてきてるから…
もうホモガミーに期待はできないのかな…
フリーライドやめてくれって。そういう人は嫌いになるんだよ
本当は最初の最初から話す人間言葉を差し出す人間も選んでるんだよ。でも初手で何も言わないはできないから話すし気さくにするしギバーにもなる。だがそこに無自覚に付け込もうとするのが多いこと
結局だいたいいつも僕の推定が正しいんですよ、案の定じゃない。
これで僕が厳しくクリティカルにならず甘々対応し続けたら互いの損失どれだけ広がったと思う?
ああいうふうに言っても伝わってないし、そもそもが伝わってないし、だから感謝なんてされないんだろうな。
そんな僕の理解者の端くれにも置けないような人とは友達すらも難しいって。
思うに、それが人からの影響なのか自己の感情で評価された結果なのかって全然違うんだよな
例えば好きな人が好きだったから好きになったとかナンセンスの極み
いや実際ナンセンスでもないんだろうけど、その好きは意味合いが全く変わることは確かだろう
不快とかってのもあるかもしれないけど、ここで大事なのは話、価値観が合いそうな指標として使えるかどうか。と見たとき、他人からの受け売り比重が大きい場合では友達やパートナーとして最適性があるかとしての参考としては使い物になれない。
確率か…。まあ世の中は確率統計だからな…分かりきってるけど
ある程度でフィルタしたらあとは確率に委せる。最初からコンバージョン100%や10%を狙わなくてもいい…のか
それでも非能率的だが…
しかしながらしかし僕の経験上も何だかんだで僕と会ってきた人達は一種の偏りがあったとも言えようか。自然の力学的作用ですでに生存の篩に掛けられていると
だがしかしそれでもやはりは運任せ(あるいは無意識任せ)はいけない、いけないと思ってしまう。
昨今も僕は運の再現性について考えることもあった。まあつまり例えば信仰や神社参りとか占星とか風水や陰陽とかの準科学的推定
そういう類は認知的侵襲性もあるから(分かりやすいところであればバーナム効果のような)、そういうのを差し引きしてフェアに考えるよう心掛けないといけない
まあ…うーん…
昨日考えてたのは、プロダクトってのはモジュール化された、いわばマイクロプロダクトなんだよ。でも一方で人、人と人のマッチングっていうのは、人の労働力や専門性とかスペシャリティが提供される場合はマイクロプロダクトだけど、例えば友達、親友、パートナー、結婚相手ともなればモジュール化されたマイクロプロダクトとはいかない。
僕はね、離婚したくないんだよ。普通の考えだと思うけど。なんでって結婚が損で離婚が得だからなんていう某金融論者を信仰してってよりは、単純に時間の無駄だから。離婚が時間の無駄なら結婚も時間の無駄、そして恋愛も時間の無駄、デートも時間の無駄。会話も時間の無駄。OKだよね?
友達と異性パートナーってのは少し、まあ違う。ポリモアリーでもなければ異性は1、友達は100だ。
あのな…僕はパートナーってのも投資対象で見てるんだ。シンプルに。何も彼女に金になってもらいたいって経済的な話じゃない。強いて言うなら「時間を奪わず、時間を寄越してくれる」相手ってのが成功例だろう。(例えば僕自身が僕自身から奪うであろう将来時間を割引して奪わない奪わなくていいように度々してくれるような相手)
それ以外は要らない(実際、お互いに要らないと思う)