条理を解く
Shou Arisakaの個人マイクロブログ(=一人ツイッターのようなもの)。 ※某自作SNSから引越。
社会・技術の投稿が多め。つまらない諸事物への考察・持論を展開。

#インターネット論

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ジモティーはSEOが強い。とスパム是非論の話 #jmty

僕がjmtyにこだわる理由がわかられないかもしれない。
一言で言うと、ジモティーはSEOが強い。以上。

SEOが強いっていうのと、これも大事だけど、SEO施策(操作)がし易い。これは大事。
例えばnote .comは以前は操作しやすかったんだけど、昨今はできなくなった。海外スパマーらのせいだろうな…。
qiitaはまだ有効な手法がある。

まあ言ってしまえば、どんな記事だろうと伸ばせるし自分のサイト貼るでもすれば人とリンクジュースが貰える。
ぬるま湯なんだよな…。
僕が賢いのか良い人(?)しか日本にはいないのか分からないけどあんま、ってかやってる人見たことがないけど。

ここらへんは倫理、スパム是非論の話になるが、
何が人に嫌われるか。スパムとされるか。悪質とされるか。迷惑となるか。っていうのは、"関連性"(妥当性・合理性)って部分が大きい。
例えばネコを語り合うコミュニティに不用品回収の宣伝をレス・スレ立てしまくればそれは典型的なスパム。迷惑行為。一方でここにネットで見つけた面白い猫ミーム動画を貼ってコミュニティを盛り上げるのは…これはスパムか?これが彼女自身(や利害関係者)の自演(=ステマ)だとしても、スレが盛り上がったなら一部のアンチの意見を除けば相対的に迷惑性は高いとは言えないだろう、ということになる

まあつまり、適材適所。
僕はjmtyの友達カテゴリにウェブ制作の宣伝投稿をしたりしない。仮にそれをしてもコンバージョンが知れてるし。

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考えてみると、ウェブって特殊なのかな。
ウェブって"寄生"ができる、し易いんだよ。

えっとこれは僕にとって何年も前から当たり前だったことだけど、
例えばyoutubeとか動画のスペシャリスト(数十万登録者いるとか)だと、youtubeとか、ニコ動?ではスキルを発揮できるだろうけど、他にプラットフォームってある…?っていう

ウェブ…ここではテキストを主に言うけど、ウェブのエキスパートだったら色んなサイトが利用(または悪用)できて、
僕は知恵袋もQuoraもRedditもQiitaもジモティーもnoteも悪用歴があるんだけど、
動画専門の人とかってここらへんの知見はないわけで。SEOだとかコンテンツライティングだとか。もちろん共通部分はあっても
動画市場って実質youtubeの独壇場で。youtubeの独壇場じゃないのは著作権グレー系の映画アニメドラマetcみたいなサイトくらいで。メインランドじゃbilibiliはシェアあっても日本でのニコ動は数年前から既に下火。というか動画のサイトは多くない。技術的にも負荷・収益効率的にも合理的じゃないんだと思うけど

だからweb2.0においてはテキスト、なんだよな。SEOといえばテキスト。メルカリだってtwitterだってそう。youtubeだって字幕、動画説明はテキストだし。

なんか軸がブレたな…
やっぱりウェブはマーケティングの基盤だよな、っていう。

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ウェブってさ
ウェブと言うか、デジタル領域。もといアルゴリズムで構成されるシステム
誰もが"スペシャリスト"にならないといけないんだよな。スペシャリストになることを強要される。youtubeチャンネルでも、SNS発信者でも。でないのであれば、情報を発信する権利を持てない。
良いことかもしれない。しれないけど、
やりづらさとか、理不尽さを感じることはある。きっと人々もあると思う。
なんだろうな…
僕はこれに完全否定派ではないんだけど、若干憤りがあるので、これを壊してみたいとも思っている。
nonbuzはそういう目的もあったんだよ。だからSEO強くしてた(途中で放棄したけど)んだけど、方向性がズレたり気に入られないところ、ベストプラクティスにそぐわない箇所、知識不足、至らないところとあった。
ちょっと設計と計画をミスってあんまり上手くいってないけど、上手く行き過ぎた後で崩壊するよりはやりやすい。
まあ…
そうだな、それを言うならnoteは強い。あれはスペシャリストじゃなくてもある程度発信力を持てる場所だ。その点では評価せざるを得ない。
僕はいわばnoteじゃないけどnoteのフォーク的な、より僕好みなチューニング・モダナイズされた場所を作りたかった。無料ブログじゃなくwordpressでブログを始めたい人のこだわりみたいなものだよ。
うーん
まあ、やれるようにやってみるけどな。たぶん僕にしかできないことやってるから。
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やっぱり俗世から離れていると心が安寧

やっぱり俗世から離れていると心が安寧だな
汚く不快な、あるいは明るく目障りな事物で満ちている。

僕はもともとこういうスタイルで生活していることが大半で、社会とか動向とか人々みたいのは全く(結果として)見ないような期間が長くなるような具合だった。自分の興味のある事々しかフォローしないし見ようとしない見たいと思わない……それは常にそうだ。問題なのは、"見なくて済む;観たい物々以外は視界に入らない"という要件が加わるか否か。
例えばyahooニュースを見るにしても、youtubeを見るにしても、邪魔なノイズが大きすぎる。だから僕はublock(コンテンツブロッカー)を多用してあらゆる不快情報・不要情報を認知領域からカットするように心がけてきていたが、最近はそれが鈍っていた。受容的になっていた、という具合か。
それで知れること、訂正できること改善できること、それはもちろんあるが、何分疲れるし構造上非能率的で時に気分や安寧を害する。

世間から離れて一人のことをできるのは楽だよ。そして手早く雑多が成り得ない超人に近づける。

インターネットは便利だが、そういう不快情報も招いてしまう。僕が自然言語分析に一時期傾倒していたのはコンテンツブロッキングのためでしかなかった。
今、AI(LLM)のコモディティ化で僕のウェルネスは次元を上げることができるようになるかもしれない。

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