条理を解く
Shou Arisakaの個人マイクロブログ(=一人ツイッターのようなもの)。 ※某自作SNSから引越。
社会・技術の投稿が多め。つまらない諸事物への考察・持論を展開。

ホラゲーにありがちな「謎解き要素」が要らないと思うって話

ホラゲーとかゲームにありがちな「謎解き要素」、個人的には全開で要らないんだよな…

「"もしかして"("つまり")、あっちのとここのが同じシンメトリーになるようにすればいいのかな…?…やった、仕掛けが解けた!僕私ってば賢い!天才ry」
みたいな

まあ自分ではプレイしないんだけど

えっと…
どうして同じにするのか?
どうしてパスワードの数字がそこに書いてあるのか(なぜその数字が金庫と紐づくのか)?
どうして数字を逆さまにしてみる必要があるのか?

そこらへんにおいて論理的推論(帰納演繹)ができないのが散見…というかほとんどな気がする。
言い方を変えると伏線がないみたいな。(="当該数字を書き残した人物がそれを書き記した時に宙吊りだった"みたいな前提があるなら"数字を逆さにしてみる"は納得できる)

それって謎解き…(謎解きって興味ないから分からないけどこれこそは謎解きなのか?)っていうより"勘・当てずっぽう"(もしくは他の作品でありがちな形式・ヒューリスティックに従ってるだけ)だよねっていう。それの面白さが理解できなすぎる。

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