#思想
物質(物)より体験に金を使え、みたいなの
物質より体験に金を使え、みたいなのがあると思うけど、
僕はわりとマテリアリストで、物はたくさんあるし(移動しない限り場所は把握できる)、
10万を旅行に使うなら10万のヘッドホンの方が良くね、っていうような考えを持っていた。
(※1 旅行に関しては"体験費"よりも"移動費"と"滞在費"にコストが掛かり費用対効果が悪いと認識していたししている。
※2 ヘッドホン(オーディオ)はもう金を掛けきったのでもう要らない)
でもそれはそのヘッドホンの視覚的・材質的側面に価値を見出して金を出してるっていうよりは、
それの使用に際しての"体験"(認知的充足)に価値を見出してるんだよ。
まあなので…物は小綺麗に飾ってるだけじゃ(アートやアンティークなら良しとして、実用物であるなら)金は回収できない。
これを混乱し一絡げにして、"物に金は出さない"、"ミニマリズム(シンプリズム)こそが至高だ"ってような主張は思慮が足りないと思う。
結構学際的な内容にはなるけど…社会学、進化生物学、経済(これは太い)、認知科学と認識論、民俗学・神学系・宇宙論…色々なノードが密接にネットワーク形成してるからな。
ここを中心、中心というか一つの大ノードとして俯瞰して論じてみると、面白い。
哲学っていうより僕は価値論者、axiologistなんだよな
あー…
哲学っていうより僕は価値論者、axiologistなんだよな。
哲学者といよりは価値哲学者。
それで生きてきてるしそれを説いてきてるし
どうしても一般的な事柄だいたい何でも頭回せるから"哲学者"に引きづられそうになるけど、
価値論にニッチ設定したほうがいいのかもな…必要に応じてそこから一般化(営業規模拡大)してくこともできるわけだし
そう。価値論のブログ的なのも作りたいなあみたいのは思ってたことがある。でも正直、
価値だけに、価値がありすぎて広めたくない。
という傲慢?身勝手…ではないけどそういうのもあるかもしれなかった。なんで僕の専売特許を社会主義よろしく垂れ流さないといけないの?って。僕はフリーライドするのは好きだがフリーライドされるのは大嫌いなんだよ。
でもまあ、信者…あるいは学徒?増えてどうするか。まあ一定の利益になるなら多少はボランティア配布してもいい。でも出口戦略がやはりまだ見えない。
とりあえず、todoable。
哲学者というキャリア… デジタルフィロソファーか…
哲学者というキャリアか……
デジタルフィロソファーというのも悪くないのか…な
というか今なら実現できる。できるんだよな…。ここで
nonbuzは書きたいことなんでも書ける。集めたい人も見せたい人も、舵が効く…。
そういう思想ブログみたいなのを作ろうと想像してた時も実際ある。何年か前とか。でもそこまでの意思はないし、なかった。それにそれに準じる利益、そして出口戦略、そこまで考えられなかった。これは今もまだ分かりかねる段階だけどな
そこに答えを見出したいなら、自分で新しい近代的哲学者像を開拓するしかない。あるいは↓で触れたような昨今の哲学やメタ事情に触れてアイデアを盗るか。
自分の(哲学上の)学派を広めたい。
なんかさ
自分の学派を広めたい。
そんなものは特段ないんだけど。というか人も僕も環境と社会で100%構成されてるからな。全部猿真似の結果であるに過ぎなく。
哲学領域の話ね
arisakaism(有坂主義)
みたいのを広めたい。ピュアな新興宗教やな。
guru欲みたいのはあった。
今ってたぶん…日本においては少なくとも、ひろゆきなんてそうかもしれない、一部のvtuberとかも、ああいう熱を持った…ああいうのは信者とか推し(活)みたいな言われ方をするけど、
哲学領域的な言い方をされたいならば、"思想"にフォーカスされてなければならない。んだと思う。
だから単に、単ではないかもしれないけど、かっこいい、かわいい、面白い、すごい、博識で論理的で実際的で頭が良い…、とかではなく、あくまで"思想"。これが推し人・信仰宗派・学派を分別するキー部分なんだと思う。
まああと"哲学者"っていう肩書が前面に出てたほうがいい。
ゲーム実況者とかvtuberとか起業家とかじゃなくて。まあペルソナは分ければいいから哲学だけやってれば(やってなければ)という話になるわけではないのだけど
IQは優生性やギフテッドネスの証明になんてならない #メタ認知 #思想
hss型hspって言葉もだいぶ飽和した気がする。
こうなると言葉の意味ってなんだよって思っちゃうよね。誰が何を名乗るも自由なら
誰でも自分の理想のmbtiを名乗れる。そんな具合。そりゃ自由さ。
思ったけど、資格みたいな感じにしちゃったらマシかもね。嫌だけど……
あるいは個々人のメタ認知能力の程度を定量的に測れるフレームワーク、検査のような物があればきっとマシな社会になる。
例えば現行の主要なIQって主に処理速度なんで当該個人の優生性やギフテッドネスの証明になんてならない。
領域特定のハイレンジ検査なんて各人が趣味でやってみたしてるくらいの程度で普及の文字からは程遠いし
そういう意味合いで言うと、僕が提唱してるのは"メタ認知"って領域でIQ検査法作ったり広めたりするのが求められてるんじゃないのって感じか。きっといい世界になるよ。
「人は暇になると碌な事にならない。」 #ニヒリズム
そもそも、そもそも。
「人は暇になると碌な事にならない。」
だから仕事とか夢とか家庭とか、何かに目を奪われてる間は盲目の幸せを享受できる。悩みでも、問題でも、同じ。金に困ってる、愛に困ってる、不安に困ってる…それは幸せを得るチケットになる
だからやることがたくさん、やることが増えていく、
それは楽しめる時間が増えるっていう良いことって捉えている。
これはニヒリズムの中で言われてたのかな、だからそれが無くなったり疑問を投げかけるようになったりした時、それが始まりだと
眠い
僕の中の根本的な問題は何も解決してない。ただ延命してるだけ、忙しくて楽しいな?と。忙しない間に何をした?何もない。
今生きてて選べるのは現世的な事柄に献身するか、形而上的な想像に傾倒するか、二者。僕はその両方を採ろうとしながら二律背反な行動を取って、何かが変わったのか?残ったのか?とだいたいいつも…期待を差し置いた虚無感に終わる。
非合理、不条理、間違った認知や理解、正や善へのアンチテーゼ…
これが楽しかった、すごい、好きだ、を共有したいって相当、相当でないと
僕は自分が不快になったこと自分の集団や社会の許せない(許されない)こと非合理、不条理、人々の間違った認知や理解、確立されてしまった正や善へのアンチテーゼ、
そういうのをぶちまけたくて堪らない
くなることが往々にある