条理を解く
Shou Arisakaの個人マイクロブログ(=一人ツイッターのようなもの)。 ※某自作SNSから引越。
社会・技術の投稿が多め。つまらない諸事物への考察・持論を展開。

#気づき

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N100開発者

ネットワークで物事を考えるようにしたときに、L大よりT大の方がはるかにベネフィットがでかいんだよな…
なんだろう、先々すぎる投資みたいのって、効用逓減っていえばいいのかな、むしろ認知的負荷であり経済的負債
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気の所為だったかもしれない。
何が自分の個人的な認知負荷になってるのが気づけると

たぶん、これ僕の癖でもあるんだが、
今回の場合、必然的に以前のタスク(覚えていないプロジェクト、ワークスペース)を掘り返さないといけない(=見返さなければ、短期記憶領域・作業記憶領域にレガシーリソースを広げなければ/展開しなければ、話が始まらない)、
ってような状況が認知的抵抗を見せていたのかなと想像。

刺激あって新規性あり面白いものでないものは僕の認知様式にとって敵であるに等しいんだよな…

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気づいたんだが、人って一定ライン超えると、
自分のためじゃなく社会のために生きなきゃいけない/生きることを求められる/生きたほうが利己性観点からも合理的、
って具合になるんかもしれない
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一般的人(the 人)であるほど"人が好き"に妥当性がある
これの裏付けは一般的人(多くの場合の人)に彼彼女自身が近似するから
逆に乖離的人(個性的人、あるいは外れ値,)は普遍的人に近似しないため、"好き"とか社会的コントリビューションに意向しない
つまり、「人が好き」という人と「人が好きじゃない」という人は数学的にバッドケミストリーである
ここで生じる「"人が好き人"が"人が好きじゃない人"を好きにならない」というパラドックスこそが一般的人の論理的脳機能欠陥を証明している

こんなことがぼざろを聴きながら降ってきた。やっぱ僕は人嫌いだわ(確信)そして僕はぼざろ本体よりぼざろの曲がすき(真理)

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なんか僕は僕自身の予言自己成就がすさまじい。やっぱメタ認知が的確なんだろうと思う
だからきっと医学博士も取ってしまう気がする
そしてやはり40手前で死ぬかもしれない。このままだと
ただ確定ではない。
それまでに面白おかしく生きるか、なぜか医科学と邂逅した縁を使って寿命延伸(150まで生きる)に全振りするか
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ワイ氏の概日リズムが不安定なのjinsのブルーライトカット眼鏡のせいかもしれない(ipRGC)
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僕の肩書収集癖って自己顕示・承認欲じゃなくて権威主義から来てるんだよ。
って上手い表現ができることにさっき気づいた。
価値判断において権威とのトレードに金や時間を厭わず差し出してるって感じ。
僕の出身高校でも大学でも、資格でも経歴でも、mensaでも学位でも
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怠学って言葉を知った。僕については"不登校"よりもこっちの方が適切な表現だったな。
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